姐さんと呼ばせてください!

女優さん好きな私が姐さんと呼びたい方々への一方的なファンレターを書いています

「なんちゃって家族」でジェニファー・アニストンの魅力を知る

「フレンズ」を見てもいまいち世間で騒がれているほど彼女の魅力を感じられずにいました。好きでもないし嫌いでもない、この何にもひっかからない感じ。もう彼女にときめくことはないだろうとさえ思っていたのですが。

いや、ジェニファー姐さん、すみませんでした!この下ネタ満載でかつ場末のストリッパーでという役柄を選択されただけで、あなたが大好きです!そして何でしょう、彼女がたくましくダメ男をしかってると、私までしかって欲しくなる…。ちょっとエッチでちょっと下品で、でも真面目な隣のお姉さん。スタイルも良いのだけれど、アンジーほど遠くの人じゃない。きたない中古の車にも文句いいながら隣に乗ってくれそう。

ちょっと山口智子さんを思い出させる、さわやかな頼りがいのある人。

いやストリップシーンも良くて。いかにも作りこんだ身体ではないけれど、大人の女性の色気やダンスが好きというのが現れていました。(技術は高いのに店では認められない悲しさ)

ボルベール(帰郷)は素敵な女たちの「おかん」映画でした

彼女を初めて見たのは「オール・アバウト・マイ・マザー」。その時の衣装が白だったと印象が濃いせいか、モニカ・ベルッチ姐さんと同じく濃い顔立ちなのに、黒より白が似合うと思います。私が彼女が出演している映画では「ハモン・ハモン」「それでも恋するバルセロナ」を見ているのですが、きりっとした顔立ちでスペイン語をまくしたてる黒猫みたいな人。ちょっと「殺意の夏」の頃のイジャベル・アジャーニをとがらせた感じだなぁと思っています。

ちょっと近寄りがたい雰囲気を、おばちゃん服と田舎の街並みとスペイン語が中和してくれて、彼女の中身である母性が浮き出てくる。下手にひかれたまつげ下のアイラインが表しているのは、娘や生活が第一の「おかん」であること。彼女には「エレガント」より「たくましさ」というスパイスが似合うのですね。

私が気に入ったのはモニカ以外の登場人物たちです。彼女が抱えた秘密ですが、自分の娘をいじめることなく愛すことができたのは、やはり彼女自身が母親に愛されたからではないでしょうか。母を憎んだと言っていましたが、それは求めていたことへの裏返し。母親が秘密にしていた行動からでも、この母親も「おかん」だったのだと思います。そして姉や近所の方々との関係も、情に濃いが明るい、軽い。じめっとしていないように思えました。

特に夜中にモニカに付き合ってくれた太めの情婦。彼女みたいな人、いいなぁ。何だろう、あぁいう人が同じ町にいるというだけで、引っ越ししたくなくなります。がんの人も良かった。特に冒頭で葬式後に姉の車を見送るシーン。誰もみていないけど手を振るところ。私は相手が見ているという計算で行動するヤマシイ女なので、こういうシーンにグッときます。あと美容院の客ね。こういう輪にすっと入れるか入れないかでコンプレックスは測れると思うのですが、入れなくとも美容院のイスにでもなって彼女たちのど~~でも良いおしゃべりをながめていたいと思いました。

ベネロペは映画で胸を強調されていましたが、私はタイトスカートのお尻のラインにぐっときました。強く、優しく、たくましくなりたい、なろう!と自分にハッパをかけることができました。

いろいろ思うこと

現在は「キャロル」というケイト・ブランシェット姐さんが砲撃かましていますが、皆様はご覧になられましたか?私はもう行く前から心臓に穴が開いている状態ですので、当日は担架に乗せられた患者のごとくハァハァ言いながら見ることでしょう。気味悪いですね全く。

話は変わりまして健康診断の結果で3つ引っかかり、その中で初めて「再検査してナウ!」という号令をいただきまして。ふゆに体調悪くなりがちなので気にしていたのですが、どうやら血尿が出ている模様。来月また検査します。

何でしょう、3年前からですかね仕事が波に乗ろうとすると体が邪魔をするという。もう仕事するなってことでしょうか。それとも他のことをやれということなんでしょうか。前回倒れた時にとても悩んでしまって、ある方に相談したのですがそのアドバイスですら呑み込めなかったという。そう、あたくし頑固なのです。

で今回も偶然ながらその方に来週会うという。今度は素直に聞いてみたいと思います。あともっと気楽に生きたいと思った。長女で親からの締め付けがあったせいか、なんでも重くそして区分けして考えるクセがあったのですが、それを辞めたいなと思います。そのこと自体が悪いとは思わない。それはそれでひとつのパワーとなり、色んなことができました。でもちょっとそれをホカシてみたくなった。捨てたくなったんです。

と言いつつまた拾うかもしれないけど、もっといろんなもの捨てたくなった。自分が今まで抱え込んだもの。キャラとか考えずに。自分を変えたいのではなく、要らないものを捨てたいのね。それだけ。

杉村春子姐さんの女の一生「誰が選んだのでもない自分が選んだ道だもの。間違いと分かったのなら間違いでないようにしないと」というのに近いです。

 

姐さんと呼びたかったのに先輩にやられる

私が長年継続していることで、007を映画館で鑑賞する、という催しがあります。ティモシー・ダルトンとダニエル・グレイグは継続しています。で今回のボンドガールにモニカ姐さんが出る!ということで昨日行ってまいりました。

モニカ姐さんは黒より黒が似合うというか、黒に深みが増すタイプ。ベネロペ姐さんもそうですが、喪服を着せたくなるのも分かります。だが思ったより姐さん出てこなくてがっかりしたところ、Q先輩がローンとネコ攻撃、さらにとっくりのセーターにフード付コート、最終的にPCという攻撃をしてくれまして。なんでしょう、蕎麦喰いに行ったのに売り切れで、うどんでもいいか、って食ったらすんげぇ満足!てな感じで。

でももう少しモニカ姐さんの活躍が見たかったです。

英語ってなに?(はてなお題:年内にやっておきたいことより)

転職Queenの私の今の職場は英語を使います。使うといっても様々で、私のような文章も会話もそこそこレベルから、できる人までその幅は太いです。そして英語に対する求めるものも人によって様々。英語ビジネスがこれほど盛んなのが不思議なのですが、職場の人に聞いたら「英語学習とはダイエットに似てる」という方が。つまり幻想を抱きやすいということなんでしょうか。英語ができる、というのはゴールが様々でかつ見えにくいし維持するのが大変。TOEICの点数は目標にしやすいですが会話につながりにくいという欠点があります。要は自分が納得するのがゴール!なんでしょうがダイエットも目標体重になったらなったで、ウエスト太ももとかが気になり出し更なる深みに行ったりするのでしょうか。

マルホランド・ドライブ

前半はダイアンが作り上げた世界。リタ(カミーラ)もダイアン自身が投影された、もう一人の彼女であると同時に、ダイアンの理想が詰まったカミーラの姿なのではないでしょうか。いつもダイアンを頼り、手をつないで歩き共に眠り、そして彼女に感謝する。現実のカミーラとの関係と反するものであります。
後半のカミーラ婚約パーティ場所へ向かう、二人。カミーラはダイアンの手を握り、自信に満ちた美しさで彼女を先導します。幻想的な時間の中で、ダイアンはカミーラの手を包むように握りしめるのですが、この時のダイアンの気持ちは「いつまでもこうしていたかった」ではないでしょうか。その気持ちが前半のダイアンの理想の世界で、リタと手をつなぐシーンの多さに表れていると思います。好きな人と手をつなぐ。この行動ほど心を落ち着かせるものは無いのではないでしょうか。私はこのシーンが大好きでたまらないのですが、映画批評家の町山さんが配信している「映画その他ムダ話」によると、映画「血とバラ」の影響がこのシーンにはあるとか。他にも詳細に映画の内容が説明されているので、有料ですがおススメです。
ところで、カミーラはダイアンに見せつけるのが好きなんですね。ダイアンの嫉妬深さを計算して見せつけて遊んでる。こんなことするなんて憎い…だからこそ離れられないし、他の男や女にとられるのなら殺してやる、と思ったのでしょうね。
前半の最後に「泣く女」の歌を二人が聞いて涙するシーンがありますが、この場所はあの世とこの世の境目で、この歌を聴くことでダイアン(ベティ)が成仏することを決めたのかなと思いました。
で今回の姐さんはカミーラ役のローラ・ハリングさまなのですが、もう肉体的にも顔のバタ臭さもすんげぇ好きです。でもそれ以上にこの映画が好きなので、この映画そのものに「姐さん」称号を与えたいと今回は思います。

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 *前半のリタはダイアンが作り上げたカミーラであると何故思うのか→リタはベティがいなければ何もできない、住む場所やベットで寝ることさえできない。カミーラは仕事も男も女も欲しいものは何でも手に入れる女。そんな彼女の能力をねこそぎ奪ってさえも、自分のものになって縛り付けたい欲求が出ている。

*また前半のリタだけではなく、監督や殺し屋も能力が奪われている。そしてベティだけが賞賛の的となり、清潔で堂々としていて誰からも好かれている。ところでダイアンってカミーラ同様にバイなんでしょうか?前半に監督と見つめ合うシーン、これはカミーラをとられた恨みから、お前を誘惑してやる!ということ?それとも少し気があった?

*もう一つの推論は、ダイアン自身がリタとなって理想とする自分(ベティ)と共に生活し、愛し合うというもの。ダイアンが二役やっている。ダイアンは好きな人(カミーラ)の後ろを歩きたいタイプだと思うんです。だから前半はリタとなってベティの後ろを歩いている。

*リンチって分からないけどツボになるシーンとかあって、どうしても避けて通れない映画監督だわ。ちきしょうめ。

左時枝さん(女検事・霞夕子「死なれては困る」より)

霞夕子シリーズは鷲尾いさ子さん版が有名ですが、初代の桃井かおりさん版で忘れられない作品があります。それが「死なれては困る」。左時枝さんの、いつも何かにおびえてる感、そこから来るヒステリック感、女の業と母性が絶妙。ちょっとキリキリしている感じだけれど可憐な少女のようで、和製ミア・ファローと呼んでいます。

この話がなぜ印象に残った(トラウマになった)のかというと、左時枝を見逃してあげて欲しかったので。そりゃね検事ですもの、ちょっとおかしいな、こいつ殺してるなと思ったらつかまえるのが当然でしょう。でも左時枝に同情させられる、頑張ってきたのに不幸で、やっとこれから幸せが手に入るのにぃ。夕子は見逃さないのよね。相棒の右京さん的に「正義」という感じではなく、夕子は黒か白しかない。そこは理屈じゃないのよ、ってところが桃井さんの夕子は出てて良いんだな。

でもこの回の左時枝さんは本当に大好きで、笑顔が特に泣きそうで良いんだな。あとダンナから解放されて自由になったのに、何となく背中が泣いているのよ。ミア・ファローも何となく泣いてませんか、背中。

信号待ちしてる間に黙り込む、そんな時枝さんに「大丈夫?」と思わず声をかけると「大丈夫!」と思いっきりの笑顔で返してくれる。でもその笑顔が余計に悲しくなる。逆にはげまされて別れて、ふと振り返ると泣いてる背中がだんだんと遠くなっていく。私はその背中を黙って消えるまで見つめている…妄想失礼しました。