姐さんと呼ばせてください!

女優さん好きな私が姐さんと呼びたい方々への一方的なファンレターを書いています

マルホランド・ドライブ

前半はダイアンが作り上げた世界。リタ(カミーラ)もダイアン自身が投影された、もう一人の彼女であると同時に、ダイアンの理想が詰まったカミーラの姿なのではないでしょうか。いつもダイアンを頼り、手をつないで歩き共に眠り、そして彼女に感謝する。現実のカミーラとの関係と反するものであります。
後半のカミーラ婚約パーティ場所へ向かう、二人。カミーラはダイアンの手を握り、自信に満ちた美しさで彼女を先導します。幻想的な時間の中で、ダイアンはカミーラの手を包むように握りしめるのですが、この時のダイアンの気持ちは「いつまでもこうしていたかった」ではないでしょうか。その気持ちが前半のダイアンの理想の世界で、リタと手をつなぐシーンの多さに表れていると思います。好きな人と手をつなぐ。この行動ほど心を落ち着かせるものは無いのではないでしょうか。私はこのシーンが大好きでたまらないのですが、映画批評家の町山さんが配信している「映画その他ムダ話」によると、映画「血とバラ」の影響がこのシーンにはあるとか。他にも詳細に映画の内容が説明されているので、有料ですがおススメです。
ところで、カミーラはダイアンに見せつけるのが好きなんですね。ダイアンの嫉妬深さを計算して見せつけて遊んでる。こんなことするなんて憎い…だからこそ離れられないし、他の男や女にとられるのなら殺してやる、と思ったのでしょうね。
前半の最後に「泣く女」の歌を二人が聞いて涙するシーンがありますが、この場所はあの世とこの世の境目で、この歌を聴くことでダイアン(ベティ)が成仏することを決めたのかなと思いました。
で今回の姐さんはカミーラ役のローラ・ハリングさまなのですが、もう肉体的にも顔のバタ臭さもすんげぇ好きです。でもそれ以上にこの映画が好きなので、この映画そのものに「姐さん」称号を与えたいと今回は思います。

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 *前半のリタはダイアンが作り上げたカミーラであると何故思うのか→リタはベティがいなければ何もできない、住む場所やベットで寝ることさえできない。カミーラは仕事も男も女も欲しいものは何でも手に入れる女。そんな彼女の能力をねこそぎ奪ってさえも、自分のものになって縛り付けたい欲求が出ている。

*また前半のリタだけではなく、監督や殺し屋も能力が奪われている。そしてベティだけが賞賛の的となり、清潔で堂々としていて誰からも好かれている。ところでダイアンってカミーラ同様にバイなんでしょうか?前半に監督と見つめ合うシーン、これはカミーラをとられた恨みから、お前を誘惑してやる!ということ?それとも少し気があった?

*もう一つの推論は、ダイアン自身がリタとなって理想とする自分(ベティ)と共に生活し、愛し合うというもの。ダイアンが二役やっている。ダイアンは好きな人(カミーラ)の後ろを歩きたいタイプだと思うんです。だから前半はリタとなってベティの後ろを歩いている。

*リンチって分からないけどツボになるシーンとかあって、どうしても避けて通れない映画監督だわ。ちきしょうめ。